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日々の覚書です

原子爆弾・秘録 謎の証人とウラン争奪戦

8月6日は広島に8月9日は長崎に原爆が落とされた日です。

 

甚大な被害が出てそれが世界にも発信されているのにもかかわらず、核爆弾や原発も存在し世界ではいつもどこかで戦争が繰り広げられています。

 

去年の8月6日にNHKスペシャルで「原子爆弾・秘録 謎の証人とウラン争奪戦」という番組がありました。

 

www2.nhk.or.jp

何気なくNHKプラスをみていたら、また今年も再放送されていてまた見ることができました。

 

原爆を落とした経緯や人物などがクローズアップされても、どのような流れで原爆が作られたのかにはあまり焦点が当てられてなかったですよね。

 

それがこの番組ではその原料となるウランがどのようにして英米の手に渡り作られたのかが詳細に語られているんです。

 

鍵となる人物はベルギーのエドガー・サンジェという、財閥系鉱山会社ユニオン・ミニエールの幹部です。

 

原爆投下の20年も前に当時ベルギーの植民地であるコンゴ民主共和国の鉱山で非常に高品質のウランを発見するんですね。

 

その当時は商用価値は低かったが活用方法が見つかれば市場を独占できると思い先行投資をするんです。

 

しかし活用方法が見つからず鉱山は閉山。ところが1938年ドイツ人による核分裂反応が発見されます。

 

そうするとヨーロッパの列強から問い合わせが相次ぐようになり、サンジェはコンゴ産ウランの重要性を確信しました。

 

そのころ、サンジェが本社のあるベルギーに送っていたウランの在庫の一部がドイツに押収される事件が起きます。

 

1940年末ベルギー領コンゴへの侵攻を恐れたサンジェは、会社に無断で極めて質の高い鉱石をウランという名を伏せてニューヨークに送りました。

 

当時アメリカではドイツに対抗するためウランの活用が検討され始めていました(ウラン委員会)。

 

サンジェはNYに事務所を開設し人脈を作りながらウランの売り込みをしていました。

 

1年後1941年12月、日本が真珠湾攻撃をしアメリカが参戦することになります。

 

アメリカが日本に宣戦布告した数日後、国務省の戦略物資担当に接触する。アメリカもサンジェの動きを観察し、翌年アメリカの陸軍ケネス・ニコルズ氏と会談。

 

そのころ原爆開発の極秘プロジェクトマンハッタン計画が始動、総責任者レスリ・グローブス大佐の側近がすべてアメリカが買い取るという契約をしました。

 

そして原子爆弾を開発・・このような流れで原子爆弾は作られたそうです。

 

サンジェは長崎に原爆が落とされた8月9日にホワイトハウスに招かれ、戦争を早く終わらせた人物として紹介されます。翌年外国人としては異例の大統領から勲章ももらっています。

 

もしサンジェが高品質のコンゴ産ウランを発見しなかったら、原爆の開発は何年も遅れていただろうと言われていました。そしたら原爆は落とされてなかったかもしれないし、世界はどうなっていたんだろうと考えてしまいますね。

 

ドイツは資金難で原爆の開発を断念したようですが、日本も原爆の開発をしていました。

 

この番組の最後にいつ誰がサンジェのような立場になるかわからないのだと言っていたのが印象的です。

 

この番組はまだNHKプラスで見れます。NHKオンデマンドならいつでも見ることができます。

 

今まさに憲法改正がされようとしていたり、長崎市長の行動に対しての欧米の態度など見ると油断していたらちょっとのきっかけで戦争が始まりかねない危険性を感じます。

 

いかに国防のためとかいう美辞麗句を並べられても戦争反対の姿勢を貫くことが大事だと思いました。